なぜ今「設計」が大事なのか
AIツールを入れても仕事が楽にならない職場は少なくありません。原因の多くはツールではなく、仕事の形が決まっていないことにあります。この章では、AI時代の「業務設計」と「システム設計」が何を決めることなのかを整理し、この教材全体の地図を示します。
- AIを入れても成果が出にくい職場に共通する3つの原因
- 業務設計とシステム設計がそれぞれ決めること
- 人・システム・AIという3者の性質の違い
- 設計の質を左右する「6つの問い」
1-1AIを入れても楽にならない職場で起きていること
ある会社の経理部では、請求書の内容を読み取って会計システムに入力するAIツールを導入しました。読み取りの精度は高く、1枚あたりの入力時間は10分から1分に縮みました。ところが3か月たっても、月末の残業はほとんど減りませんでした。
現場を調べると、次のようなことが起きていました。
- AIが読み取った内容を、担当者が念のため全項目、原本と見比べていた。どこを見ればよいかが決まっていなかったため、確認の時間が以前の入力時間とほぼ同じになっていた
- 読み取れない請求書(手書き、外国語、複数ページなど)をどう扱うかが決まっておらず、担当者の机に「保留」の山ができていた
- 入力が速くなっても、上長の承認待ちが平均2日かかる状況は変わらず、支払いまでの日数はほとんど縮まなかった
この例のように、AIを入れても楽にならない職場には、共通する原因があります。
| 原因 | 起きること | この教材で扱う章 |
|---|---|---|
| 業務の流れが決まっていない | AIが速くした工程の前後で、待ちや手戻りが増える | 第2章 |
| 判断の基準が人の頭の中にある | AIに任せてよい範囲が決められず、結局人がすべて見直す | 第2・3章 |
| 確認と責任の持ち方が決まっていない | 確認が過剰か形だけになり、例外が放置される | 第4章 |
どれもAIツールの性能の問題ではありません。道具を入れる前に、仕事の形を決めていなかったことが原因です。この「仕事の形を決める」作業が、この教材でいう設計です。
1-2部分の速さと、全体の速さ
1-1の例をもう少し詳しく見てみます。請求書を受け取ってから支払いの準備が終わるまでの流れと、それぞれにかかる時間は次のとおりでした。
| 工程 | 導入前 | AI導入後 | 変化 |
|---|---|---|---|
| 受け取り・仕分け | 2分 | 2分 | 変わらず |
| 会計システムへの入力 | 10分 | 1分 | AIで大きく短縮 |
| 内容の確認 | 3分 | 9分 | 全項目を見比べるようになり増加 |
| 上長の承認 | 平均2日待ち | 平均2日待ち | 変わらず |
| 支払いデータの作成 | 3分 | 3分 | 変わらず |
作業時間の合計は18分から15分に減っていますが、思ったほどではありません。そして、請求書が届いてから支払い準備が終わるまでの日数は、承認待ちの2日が支配しているため、ほとんど変わっていません。
業務全体の速さは、いちばん遅い工程で決まります。この、流れを詰まらせている工程をボトルネックと呼びます。AIで一部の工程を速くしても、ボトルネックが別の場所にあれば、全体はほとんど速くなりません。それどころか、AIの工程の後ろに確認という新しい作業が増え、そこが次のボトルネックになることもあります。
AIの効果は「AIが担う工程がどれだけ速くなったか」ではなく、「業務全体の時間・正確さ・負担がどう変わったか」で測ります。そのためには、AIを入れる前に業務全体を見渡す必要があります。
1-3業務設計とシステム設計
この教材では、2つの言葉を次のように使います。
業務設計とは、誰が、何を、どの順番で、どんな基準で行うかを決めることです。請求書処理でいえば、「誰が受け取り、何を確かめ、どの条件なら誰の承認が要り、いつまでに支払うか」を決めることにあたります。
システム設計とは、その業務を支える仕組みを決めることです。どんなデータを、どこに、どんな形で持ち、どの画面で入力し、どのシステムと受け渡し、誰がどこまで操作できるか、といったことを決めます。
| 業務設計で決めること | システム設計で決めること | |
|---|---|---|
| 流れ | 工程の順番、分岐、例外の扱い | 状態(受付済・承認済など)の管理と、画面の遷移 |
| 担い手 | 人・システム・AIの役割分担 | AIや自動処理を組み込む場所と方式 |
| 判断 | 判断の基準、承認の条件 | 基準をルールや知識として持たせる方法 |
| 情報 | 何の情報を使い、何を残すか | データの項目、形式、置き場所、保存期間 |
| 統制 | 誰が何を確かめ、誰が責任を持つか | 権限、操作の記録、承認の仕組み |
表を見ると分かるとおり、2つは表と裏の関係にあります。業務の形が決まらないと、システムに何をさせればよいかが決まりません。逆に、システムやAIで何ができるかを知らないと、無理のない業務の形も描けません。この教材が両方を一緒に扱うのはそのためです。
開発の現場では、業務設計にあたる作業を「業務要件定義」や「業務フロー設計」、システム設計を「基本設計」「詳細設計」などと段階に分けて呼ぶことがあります。この教材では、業務担当者が決められる範囲、決めるべき範囲に絞って扱います。
1-4担い手が「3者」になる
これまでの業務は、人とシステムの2者で分担していました。AI時代には、ここにAIという新しい担い手が加わります。
これまで
これから
3者は性質がまったく違います。任せ方を考えるには、この違いを押さえておく必要があります。
| 従来のシステム | AI(生成AIなど) | 人 | |
|---|---|---|---|
| 動き方 | 決められた手順どおりに動く | 指示と材料から、もっともらしい答えを組み立てる | 経験と状況から判断する |
| 結果のぶれ | 同じ入力なら必ず同じ結果 | 同じ入力でも結果が変わることがある | 人や日によって変わる |
| 得意なこと | 計算、集計、決まった形式の処理、大量の繰り返し | 文章の読み取り、要約、下書き、分類、見比べ | 前例のない判断、交渉、責任を伴う決定 |
| 苦手なこと | 想定外の形の入力 | 常に正確であること、根拠を確実に示すこと | 大量の単純作業を正確に続けること |
| 誤り方 | 設定の誤りを、同じように繰り返す | 自信がありそうな文章のまま誤る | 疲れや思い込みで見落とす |
| 変えやすさ | 変更に開発が必要で時間がかかる | 指示や材料を変えれば、すぐに動きが変わる | 教育と引き継ぎが必要 |
| 説明できるか | 手順を追えば説明できる | なぜその答えになったか、完全には説明できない | 本人が説明できる |
生成AIは、大量の文章から学んだ「言葉のつながり方」をもとに、次に来そうな言葉を選んで文章を作っています。そのため、事実と違う内容を自然な文章で書いてしまうことがあります。これをハルシネーションと呼びます。性能が上がっても、この性質がゼロになるわけではありません。
この違いから、基本の分担は次のようになります。答えが一つに決まる計算や転記は従来のシステムに、読む・まとめる・下書きする・見比べるといった仕事はAIに、最終的な判断と責任は人に。具体的な分け方は第3章で扱います。
1-5AI時代に、設計がより大事になる理由
業務の設計は、AIが登場する前から大切でした。それでもAI時代に「より」大事になるのには、4つの理由があります。
理由1:AIの出来は、渡す材料と指示で決まる
同じAIでも、整ったデータ、明文化されたルール、具体的な指示を渡せば良い結果を出し、曖昧なまま渡せば曖昧な結果を返します。AIの性能差よりも、何をどう渡すかという設計の差のほうが、結果に大きく効く場面が多くあります。
理由2:AIは間違える前提で組み込む必要がある
従来のシステムは、正しく作れば正しく動き続けます。AIは、正しく組み込んでも一定の割合で誤ります。だからこそ、どこで誤りを止め、誰が確かめ、止められなかったときにどう気づくかを、最初から流れの中に組み込む必要があります。
理由3:作るのが簡単になり、ばらばらに増えやすい
生成AIは、プログラムを書かなくても、指示を書くだけで仕事に使えます。これは大きな利点ですが、各自が思い思いに使い始めると、同じ業務でも人によってやり方が違い、どこで何にAIが使われているか誰も把握していない、という状態になりがちです。作るのが簡単になったぶん、全体の形を決める設計の役割が重くなります。
理由4:説明と責任が求められる
経理や人事、顧客対応のように、結果について社内外に説明する責任がある業務では、「AIがそう出したから」という説明は通りません。誰がどの段階で何を根拠に判断したのかを後から説明できるよう、確認と記録の仕組みを設計しておく必要があります。上場企業の財務報告に関わる業務であれば、内部統制の観点からも求められることです(第10章で扱います)。
1-6設計の質を左右する「6つの問い」
この教材で学ぶことは、突き詰めると次の6つの問いに答えることです。業務にAIを組み込もうとするときは、この6つに自分の言葉で答えられるかを確かめてください。
| 問い | 答えられないと起きること | 主な章 |
|---|---|---|
| 1. 何のためにやるのか、何で成功を測るのか | 導入したこと自体が目的になり、効果が分からない | 第5章 |
| 2. 業務はどんな工程でできていて、どこで判断しているのか | AIに任せる範囲が決められない | 第2章 |
| 3. 誰が(人・システム・AIのどれが)何を担うのか | 全部AIか、全部人かの極端な二択になる | 第3章 |
| 4. 何を材料にして判断するのか | AIが古い情報や誤った情報で答える | 第6・7章 |
| 5. 誤りをどこで止め、誰が責任を持つのか | 誤りが社外に出てから気づく | 第4・10章 |
| 6. どう測り、どう直し続けるのか | 最初はうまくいっても、少しずつ使われなくなる | 第11・19章 |
1-7この教材の地図
この教材は4部構成です。第1部で考え方をそろえ、第2部で仕組みの決め方を学び、第3部で一つの業務を最初から最後まで設計し、第4部で伝え方と育て方を学びます。
| 部 | 扱うこと | 答える問い |
|---|---|---|
| 第1部 基礎編 | 業務の分解、任せ分け、人の確認 | 問い2・3・5 |
| 第2部 設計編 | 要件、データ、知識、AIの型、連携、統制、評価、非機能、失敗パターン | 問い1・4・5・6 |
| 第3部 実践編 | お客様窓口の業務を、最初から最後まで設計する | 6つすべて |
| 第4部 協働と運用 | システム部門への伝え方、運用で育てる方法 | 問い6、そして実現 |
どの章も、読んで終わりにせず、身近な業務を1つ思い浮かべながら読み進めてください。章末の「やってみよう」は、その業務を少しずつ設計していくための課題になっています。
この章のまとめ
- AIを入れても楽にならない主な原因は、流れ・判断基準・確認と責任が決まっていないこと
- 業務全体の速さはボトルネックで決まる。AIの効果は業務全体で測る
- 業務設計は「誰が・何を・どの順で・どんな基準で」、システム設計はそれを支える仕組みを決めること
- 人・システム・AIは性質が違う。AIは柔軟だが、ぶれて、自然な文章のまま誤る
- AI時代は、材料と指示の質、誤る前提の組み込み、ばらばらな増殖、説明責任の4つの理由で設計がより大事になる
- この教材を通して設計してみたい、身近な業務を1つ選んでください(月に数十件以上発生し、何人かが関わる業務が向いています)
- その業務について、表1-5の6つの問いに、いまの時点で答えられるものと答えられないものを分けてみてください